AM Japanは、日本の若者に主イエス・キリストと共に生きる喜びを伝えます。AM Japanにようこそ!皆様のご参加をお待ちしています。

コラム

AMでは、聖書講解とQuite Timeを通して、皆さんの毎日が御言葉によって豊かなものとされるためのお手伝いをしていきます。

コラムⅠ

男:「私はもう妻を好きではないようです。」
牧師:「家に帰って奥さんを愛してあげなさい。」
男:「分かっていませんね!僕はもう、妻に対して何の感情もないんですよ!」
牧師:「あなたの気持ちを聞いたのではありません。『家に帰って奥さんを愛してあげなさい』と言ったのです」。
男:「愛してもいないのに、そんな風に妻を扱ったら、自分の心に嘘をついていることになります」。
牧師:「あなたのお母さんは、あなたを愛しておられますか?」
男:「もちろんですよ!」
牧師:「あなたが生まれて三週間くらいの頃を想像してください。あなたはオムツを替えてほしくて夜中に泣き叫ぶ。お母さんは、ヘトヘトになりながらも起きます。裸足で起きたお母さんにとって、床は氷みたいに冷たかったでしょうね。
それでも汚れたオムツを替えて、ミルクをあげる...
お母さんがそれを大喜びしてやっていたと思いますか?」
男:「いいえ。」
牧師:「だとしたら、お母さんもご自分の心に嘘をついていたのでしょうか。」
男:「.........」
牧師:「お母さんの愛は、オムツ替えが好きか嫌いかで計られるものではありません。やりたくないことでも、それをやろうとする意思。 そこにお母さんの愛を計る基準があるのです。
さあ、さっそく家に帰って、奥さんを愛してあげてください。」

リン・アンダーソン

コラムⅡ

陶芸の先生が、クラスをふたつのグループに分けました。ひとつのグループは、単に作品の量で評価されます(どれだけたくさんの壺を作ったか)。もうひとつのグループは質で評価されます。生徒はひとつの壺だけ作ればよかったのですが、質が良くなければならないのです。
驚いたことに、量のグループでは、すべて一番質の高い壺が提出されました。量のグループは、壺を作り続けながら、絶えず失敗から学び、芸術家として成長したように見えました。
一方、質のグループは座り込んで、完全なものを作るために論じ、悩んでいましたが、実際には良いものが作れませんでした。
明らかに(少なくとも壺に関する限り)、挑戦して失敗すること、失敗から学ぶこと、そしてさらに、もう一度挑戦することは、完全なものを座り込んで待つよりもずっと有益なのです。
どんな壺も、どんなに形が悪かろうと、本当の失敗ではありません。それぞれが「一番良いもの」への道の、ひとつの成長へのステップなのです。その道は、不完全な壺が散らかっている道なのです。

ジョン・オートバーグによる『Art & Fear』(David Bayles)からの引用

Contributed by JAPAN Apostolos Campus Ministry